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さすらいの英語教師
15 January
哲学の入門書について
本に挟まっていたレシートを見ると9年越しにこの本を読んだことになる。読んでみて、学生時代に自分が書いた倫理学のレポートを思い出した。「何が言いたいかさっぱりわからない」と教授に言われた。
正直、この本をどれくらいの人が理解できたのだろうか。著者の個人的な体験から話題に引き込む手法はわるくない。「ヒーロー」の話はあまりにも重く、ここから真剣な思索へと導かれるのだという予感がする。だが筆が進むにつれて、修飾語のやたらに長い、翻訳文を流暢に繋げた難解な文章へと変質する。
この本ではメルロ=ポンティの倫理学について語るのだと言う。だが、彼の長大な著作は直接倫理学について述べたものではない。ということは、著者がメルロ=ポンティの著作を倫理学の観点から抜粋、再構成して、そのダイジェストを作ろうというのがこの「入門」の意図である。(と私は理解した。)
ダイジェスト版は、どんなに短くまとめようと、それで理解しやすくなるわけではない。マイルス・デイビスの短いベスト盤を作ったからといって、それでマイルスの演奏が理解しやすくなるわけではない。ただ、マイルスの演奏をよく知っている人が、手軽にマイルスの演奏を思い出しやすくなるというだけのことだ。
なので、この読みづらい文章も著者にとっては大きな意味があるのだろうと思う。一方入門者には苦行である。(あまりに断片的だから)
有名な哲学者の「入門書」的なものにはだいたい2種類ある。1つはデータブック的なもので、その人の生い立ち、哲学史上の位置付け、影響、著作や用語の解説など。そしてもう1つは、斬新な切り口でその哲学者を解釈してみる、というもの。
入門書という名前では、前者の方が相応しいが、果たして学校の宿題のレポートを書く以外に役立つのだろうか。(哲学クイズ王選手権などなさそうだし)一方、斬新な切り口で変則的な入門をさせれた入門者は、どうなのだろうか。すごくいい師匠に巡り合うということもあろうが、我流の師匠ばかりに出会うこともあろう。(後者は少なくとも「入門」というタイトルは付けるべきではない。)
さて、そうすると哲学(者)の入門書は、どういうものが相応しいのか。そもそも哲学とはどのようなものであり、なぜ一般人が哲学書などに興味を持つのか。
哲学とは、あらゆる学問の基礎とも言われるが、つまりは「ものの見方」の根本的なところを再考するということである。ふだん我々が常識だと思っているものが、それほど根拠がなく、実は大きく間違っているかもしれない。では、どのような「ものの見方」が正しいのか。それを考えるのが哲学だろう。
だから、読者の抱いている「常識的な見方」を壊すところがら始め、ではその代わりにどのような「ものの見方」が必要だとその哲学者は考えたのか、それを伝えること。
ほんとうの意味での入門書に必要なのはそれだろうと思う。あとはブックガイドをつけて、読者が自分で探求できるようにしてあげればよい。